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2025年6月3日午前6時39分。巨人軍終身名誉監督、“ミスタープロ野球”こと長嶋茂雄さんが肺炎のため都内の病院で亡くなりました。享年89。速報は瞬く間に日本列島を駆け巡り、午後には東京・有楽町駅前で号外が配られ、ネット上には追悼の声とともに「長嶋茂雄」「ミスター」「ON砲」など往年のキーワードが一斉にトレンド入りしました。(nikkansports.com, qab.co.jp, youtube.com)
1. 驚きと悲しみが広がる訃報
1-1. 王貞治会長ほか盟友のコメント
巨人黄金時代を共に築いた“ON”の相棒・王貞治会長(85)は「日本球史に燦然と輝く長嶋さん。一緒に野球ができたことを本当に感謝しています」と涙ながらにコメント。(nikkansports.com)
また、元監督の原辰徳氏は「勝負に厳しく人に優しい、私にとって神様のような存在でした」と語り、現監督の阿部慎之助氏も「私たちにできるのは勝利を届けることだけです」と胸を詰まらせました。(times.abema.tv)
1-2. 長男・一茂さん「父は野球の星に帰りました」
長男でタレントの長嶋一茂さん(59)は「父の89年間は誰よりも幸せな野球人生でした。長嶋茂雄は野球の星に帰りました」と声明を発表。(hochi.news)
2. “ミスター”の軌跡──昭和と共鳴したスーパースター
2-1. 立教大学から巨人入団
立教大学在学中の六大学リーグ通算打率.377は今なお歴代屈指。1958年に読売ジャイアンツへドラフト外入団すると、1年目から首位打者・新人王を獲得し、一気に国民的スターへ駆け上がります。(ja.wikipedia.org)
2-2. “天覧試合”のサヨナラ本塁打
1959年6月25日、昭和天皇・皇后両陛下が臨席した後楽園球場の“天覧試合”。9回裏に放った劇的なサヨナラ弾は、野球を超えて昭和の記憶となりました。(hochi.news)
2-3. 「我が巨人軍は永久に不滅です」
1974年10月14日の引退セレモニーで放った名言は、今も球史を象徴するフレーズとして語り継がれています。(ja.wikipedia.org)
3. 脳梗塞からの闘いとリハビリ
2004年3月4日に自宅で倒れ、右半身にまひが残りましたが、懸命なリハビリを経て2007年春季キャンプを視察できるまでに回復。その後も国民栄誉賞授与や東京五輪の聖火リレー最終ランナーなど、常に“現役”であり続けました。(nikkansports.com, news-postseven.com)
4. 家族の肖像──支え合った“長嶋ファミリー”
続柄 | 氏名 | 生年 | 概要 |
---|---|---|---|
妻 | 長嶋亜希子(1943-2007) | 1943 | 2007年に膠原病のため64歳で逝去。茂雄さんの個人事務所「オフィスエヌ」を支える“家庭の監督”でした。(ja.wikipedia.org) |
長男 | 長嶋一茂(1966-) | 1966 | ヤクルト―巨人で活躍後、タレントへ転身。「父は最大のライバルで恩師」と語っています。(sponichi.co.jp) |
長女 | 由佳(1967-) | 1967 | 一般人として静かな生活を送るとされ、メディア露出は極めて少数。(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp) |
次女 | 長島三奈(1968-) | 1968 | 『熱闘甲子園』の顔として知られ、近年は父のリハビリを支援。(ja.wikipedia.org) |
※上のギャラリー2枚目は1960年代の家族ショット、温かな日常の一端がうかがえます。
5. 盟友・後輩たちが語る“長嶋イズム”
- 原辰徳「勝負に厳しく人に優しい――その背中を追って監督としての矜持を学んだ」(nikkansports.com)
- 王貞治「長嶋さんがいたからこそ868本塁打の道程は輝いた」(nikkansports.com)
- 阿部慎之助「“勝利こそ最大の供養”。巨人ナインはミスターに白星を届ける」(times.abema.tv)
- 元木大介――現役時代より20㎏近く減量中。「健康第一で“ミスターの教え”を胸に野球解説へ臨む」という。(sponichi.co.jp)
6. ネットに広がった「亡くなった」誤情報と今回の真実
生前もSNSでは毎年のように“デマ訃報”が流れ、そのたびに球団や家族が否定コメントを発表してきました。しかし今回の訃報は読売新聞社をはじめ主要メディアが一斉に報じ、長く続いた“デマ説”に終止符が打たれました。(asahi.com, qab.co.jp)
7. 名言でたどる長嶋茂雄
- 「失敗を恐れるな。野球は失敗のスポーツなんだ」
- 「ファンあってのプロ野球。そのファンが選手を輝かせてくれる」
- 「我が巨人軍は永久に不滅です」(ja.wikipedia.org)
これらの言葉は、野球を超えてビジネスや教育の現場でも引用され、“挑戦する勇気”を後世に託しています。
8. 今後の日程と喪主・葬儀
葬儀・告別式は近親者のみで執り行われ、喪主は長男・一茂さんが務める予定。ファン向けの「お別れの会」は東京ドームでの開催を軸に調整中との報道もあります(詳細は後日、巨人球団公式サイトで発表)。(nikkansports.com, nikkansports.com)
9. “ミスター”が日本野球に刻んだもの
長嶋茂雄さんがバットを振り抜くたび、スタンドは揺れ、テレビの前の茶の間が沸き立ちました。平成・令和期に入っても、その背番号3は「挑戦」と「エンターテインメント」の象徴であり続けました。今、巨人ファンだけでなくプロ野球を愛するすべての人が――いや、スポーツと共に生きる私たちすべてが、ミスターから受け取った情熱とユーモアを胸に刻んでいます。
ありがとう、ミスター。あなたの物語は永久に不滅です。